top

生薬のはなし

ホーム>生薬のはなし>牛黄(ゴオウ)その一

牛黄(ゴオウ)その一

牛黄は『日本薬局方』にも収載されているとおり、牛の胆のう中に生じた結石、要するに胆石です。牛黄は約1〜4センチメートルの不規則な球形または角(かど)のとれたサイコロのような形をした赤みがかった黄褐色の物質で、手にとってみると以外に軽く、割ってみると、木の年輪のような同心円状の層があります。口に含んでみると心地好い苦味と微かに甘みのあるものが良品とされています。

『第十八改正日本薬局方解説書』によれば、その薬理作用として、血圧降下作用、解熱作用、低酸素性脳障害保護作用、鎮痛作用、鎮静作用、強心作用、利胆作用、鎮痙作用、抗炎症作用、抗血管内凝固作用などが挙げられており、適用としては、動悸による不安感の鎮静、暑気当たりに対する苦味清涼、のどの痛みの緩解に粉末にしたものを頓服する。また、主として配合剤の原料とするとの記載があります。

牛黄(ゴオウ)

そこで店頭の薬を見てみますと、牛黄は、救心や六神丸といった強心薬、宇津救命丸(うづきゅうめいがん)や樋屋奇應丸(ひやきおうがん)といった小児五疳(しょうにごかん)薬、ドリンク剤などの滋養強壮剤や風邪薬、胃腸薬などにひろく配合されていますが、これらの適応はどこからでてきたものか、牛黄の歴史をひもといてみたいと思います。

牛の胆石が人の病を治す物質として用いられ始めたのは、牛の家蓄化とならんで紀元前、数千年前に遡(さかのぼ)るのか、それとももう少し新しいものなのかは、牛黄が記録に登場するのが、紀元前の秦(しん)の時代から2世紀の漢の時代にかけて成立したといわれている中国最古の薬物書である『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』であるため、ヒトがウシを飼いはじめてから数千年の歴史の中の一体どこなのかは、初めて牛を家畜化したといわれるメソポタミアなのか、その後のエジプトなのか、さらには牛を現在でも神聖動物と考えるインドなのか、ほとんど見当がつきませんが、ともあれ、とてつもなく長い歴史を秘めた薬であることは間違いありません。

このように長い間、人間とかかわりあってきたにもかかわらず、意外と近年の研究もあまり多くないのは、牛黄の希少性と、これに伴う価格の高さによるのでしょうか。牛黄をもった牛は千頭に一頭といわれ、最近では衛生環境の整備された牧場が多くなったため、更に胆石持ちの牛が少なくなり、市場でのグラム当りの価格は金と変わらなくなっています。こういった事情は昔も同じだったようで、中国明(みん)代の本草(ほんぞう)学者である李時珍(りじちん)の著した『本草綱目(ほんぞうこうもく)』にも「薬物として高価なることこれ以上のものはない」と記されているのも、現代のように大量に牛を屠殺することのなかった時代では、なおさら入手が困難だったことがうかがえます。

わが国における牛黄の歴史も古く、『続日本紀(しょくにほんぎ)』に文武(もんむ)天皇二年(698年)正月、土佐(とさ)の国から、同年十一月、下総(しもうさ)の国から牛黄が献上されたとの記録があります。

また、『令義解(りょうぎげ)』には、牛黄の取扱いについての記載が見られます。『令義解』とは日本最古の法典である『律令(りつりょう)』の注釈書です。『律令』は大宝律令や養老律令等が知られていますが、大宝律令は全く散逸してしまったのに対し、養老律令の方は、大部分が、『律令』の公定注釈書である『令義解』などによって復元されています。

その『律令』の中に廐牧令(きゅうもくりょう)という、中央の廐舎と地方の牧場の運営、官馬牛の飼育などに関する諸規定を収めた法律がありますが、この中に―凡(およ)そ官の馬牛死なば、各(おのおの)皮、脳、角、胆を収(と)れ。若し牛黄得ば、別に進(たてまつ)れ―という件があり、この頃から牛黄は貴重なものと考えられていたようで、また、牛黄とは何かということの説明もないことから、7世紀頃には、すでに牛黄が牛の内臓中にあって薬用になるものだということが多くの人々に知られていたと考えられます。

駿牛図(重文・鎌倉時代)

駿牛図(重文・鎌倉時代)

牛黄の文献的研究は満州医科大学の杉本重利氏の詳しいものがありますが、これによると牛黄は奈良朝以前、すでに推古天皇のころには輸入されていたようで、それ以前には允恭(いんきょう)天皇の三年一月(414年)に天皇の病気治療のため新羅(しらぎ)へ医者の派遣を求めていることから、当時の中国医学の中心であった『千金方(せんきんぽう)』などが朝鮮でも利用されていたと考えると、『千金方』には牛黄を使用した処方が多くあることから、さらに古くから、わが国に伝えられていたと考えるのが妥当だとの記載があります。

さてそれでは牛黄はどのような病気の治療に用いられてきたのでしょうか。牛黄の記録としては最も古い『神農本草経』には「驚癇寒熱(きょうかんかんねつ)、熱盛狂痙(ねっせいきょうけい)。邪(じゃ)を除(のぞ)き、鬼(き)を逐(お)ふ」と記されています。これは主として急に何物かに驚いて卒倒して、人事不省になってしまう者や、高熱が続き、痙攣(けいれん)を起こしたり、そのために精神に異常をきたしたりした者の治療に使用し、また、人に悪い影響をあたえる邪気をとり除き、死人のたたりの鬼気を逐い払う作用があるとしています。これは即ち邪や鬼といったもので現わされる病気を駆逐したり、病気にかからないようにするといったように治療のみならず予防医学的にも使われていたようです。中国の梁(りょう)(5〜6世紀)の時代の陶弘景(とうこけい)の著した『神農本草経集注(しんのうほんぞうきょうしっちゅう)』には漢の時代の『名医別録(めいいべつろく)』の引用として、「小児の百病、諸癇熱(かんねつ)で口の開かぬもの、大人の狂癲(きょうてん)を療ず。又、胎を堕す。久しく服すれば身を軽くし、天年を増し、人をして忘れざらしめる」と記しています。これは子供の病気ならどんなものでも、高熱を発して歯をくいしばって口を開かなくなってしまう者や、大人なら精神錯乱を治し、長期間にわたって服用すれば新陳代謝を盛んにし、寿命をのばし、物忘れしなくなるということでしょうか。ところでこの『名医別録』にも記載されていますが、牛黄の面白い作用に「人をして忘れざらしめる」というのがあります。

神農本草経

神農本草経

これは宋の時代(10世紀)の大明が著した『日華子諸家本草(にっかししょかほんぞう)』という書物にも「健忘」としてあげられており、いわゆるボケの予防又は治療に用いられてきたと考えられます。現代の中国では、牛黄を芳香開竅薬(かいきょうやく)というカテゴリーに分類し、脳卒中や脳梗塞などの脳血管障害による意識障害に用いているところをみると、古い書物の臨床適応も十分納得がいきます。牛黄の薬理作用の一つに末梢の赤血球数を著しく増加させるといった報告がありますが、これなどもボケなどの脳血管障害には有効に働くものと考えられます。

【引用文献】

杉本重利、日本薬物学雑誌18:46(1934年)
杉本重利、日本薬物学雑誌18:60(1934年)
日本公定書協会編、第十五改正日本薬局方解説書 (2006年) 広川書店
井上光貞・関晃・他校注、日本思想大系3 (1981年) 岩波書店