フィギュアとの出会い
- 堀
- 本日は村上佳菜子さんにお話を伺います。フィギュアスケートは始めるのに少しハードルが高いイメージもありますがきっかけは?
- 村上
- 数々の名スケーターを輩出している名古屋の大須スケートリンクが自宅から10分位の所にあり、6歳離れた姉の影響でベビーカーの頃から遊びに行っていてその流れで始めました。大須リンクは街中にポンとあって名古屋の方ならみんな滑ったことがあるくらい気軽に滑れる場所なので、東京に比べるとスケートを身近に感じられる施設です。最初は氷の山を作って遊んでいても怒られなかったのに、いつしか遊んでいると母に怒られるようになり、そこで一度スケートが嫌いになりました。でもその時点でスケートのない人生が考えられないと言うか、やりたくなくてもやらないと気持ちが悪い“歯磨き”みたいな感覚で続けていたので、友達と遊びたい子供心とスケートの練習の間でもどかしい、苦しい時期も正直多かったです。
- 堀
- 山田満知子コーチに師事されますが、コーチ選択がその後の競技生活に与える影響は大きいですか?
- 村上
- 山田先生との出会いがあってオリンピックに出場できたわけですし、母の選択には本当に感謝しています。私がこの性格になったのも山田先生のおかげだと思っていて、スケートだけでなく人間形成にも影響を与えてくれた私にとってはもう一人の母親のような存在なのでその意味でも大きいですね。
- 堀
- 幼少期から上手だったのですか?
- 村上
- 私は5歳の時に出た最初の大会は1回転ジャンプすら回転不足で下から2番目でした(笑)。スケートは級が初級から8級まであり、基本的に7級まで取ればどの大会にも出場可能で、皆バッジテストを定期的に受験し上を目指します。初級さえ取れば年に1回は大会に出るチャンスがあるので、県大会といっても他のスポーツに比べれば出場しやすい印象でした。
- 堀
- ステップアップする中、国際大会やオリンピックを意識し始めたのはいつ頃?
- 村上
- 初めて海外試合に派遣してもらった小学校3年生です。そこで優勝して「自分はこの先もスケートを頑張っていくのだろうな」と改めて確信しました。オリンピックはというと、2010年の世界ジュニア選手権で優勝した時でさえ“オリンピックなんて緊張する場所は行きたくない”と思っていた特殊なアスリートタイプでしたね(笑)。転機はバンクーバー五輪で浅田真央さんの演技を見たとき。とても心動かされ、自分も誰かに感動を与えられる人になりたいと思いその時からオリンピックを目標にしました。その年からシニアに上がり4年後どういうスケーターになるかを意識し、曲選びなど“オリンピックのための時間”を過ごしました。
- 堀
- 2014年に念願のソチオリンピックに出場されましたね。
- 村上
- シーズン前半はグランプリシリーズも最下位と本当に崖っぷちで、期待はされても気持ちが乗らず身にならない練習を続けていました。理由は前年の世界選手権でその時の自分を全て出せて燃え尽き症候群だったのと、大学進学とオリンピックのタイミングが重なったことです。私にとって高校生活はとても楽しくスケートを頑張る原動力でしたが、環境の変化で精神的にも追い込まれてしまいました。幸い最終選考の全日本選手権の2週間前に曲を変更したことで良いスイッチが入り、その後の2週間は半年分位の充実した練習ができ、全日本選手権での最高の演技に繋がり五輪出場権を獲得できました。
- 堀
- 直前の曲変更が転機だったのですね。夢の大舞台の感想は?
- 村上
- 「やっぱ緊張した〜」って感じです(笑)。オリンピックは普段スケートを見ない人も来場しますし、聞いたことのない楽器の音や個人より国名で応援されるため日本代表をより意識し、他の国際大会とは全く違う不思議な空間でした。普段は感じない緊張と怖さ、大会の雰囲気に私は完全に飲まれましたが、そことの勝負が“魔物"に勝つかどうかなのだと肌で感じました。大会終了後もう一度この舞台で頑張りたいと思う選手が多い中、私はおなか一杯で十分満足しました。
- 堀
- 22歳での現役引退は早く感じますが、引退後スケートを職業とする方は多いのですか?
- 村上
- もっと見たかったよと皆さんに言っていただけたのですが、私の決断もフィギュア界では決して早くはありません。国際的な選手や男性スケーターはもう少し続ける人もいますが、怪我が多いのと成長と共に身体が固くなりジュニア時代のように軽く動けないことを理解し練習方法などを工夫しないと長続きしないので、中学から高校、就職時期の大学で引退する選手は多いですね。世界にはディズニー・オン・アイスやクルーズ船でのショーなどプロチームがいくつもあり、無名でもオーディションを受けアンサンブルスケーターとして仕事をしている人も大勢います。
- 堀
- 採点競技とエンターテインメント、それぞれの見どころを教えてください。
- 村上
- 競技にはフリーとショートプログラムがありますが、フリーと言っても自由という意味ではなく演技時間が違うだけでバチバチにルールが決まっています。ジャンプを7つ入れる、コンビネーションは3つまで等の規定の中で自分の滑りをどれだけ見せ表現できるかを競います。一方エキシビションやアイスショーは、客席から登場する、椅子や小道具を使う、なんならジャンプを飛ばなくてもOKと本当に自由で、皆さんにどれだけ感動してもらえるかが勝負です。衣装も髪飾り1つ落ちても1点減点になる機能性重視の競技と魅せるデザインとでは考え方が全く違います。競技の緊張感とアイスショーの華やかなエンターテインメント性にはそれぞれの魅力があり、観る人の好みではないでしょうか。
- 堀
- スケート人生を通じて何を得られたとお考えですか?
- 村上
- オリンピック直前の1年間がとても大事な経験でした。周囲の期待に対するプレッシャーや環境の変化で、本当に苦しく毎日泣いて何度も投げだしたくなりながらも大きな山を乗り越えた経験はその後の人生にも活きています。ソチでは満足のいく演技はできませんでしたが、五輪元代表の肩書はその後の仕事にも繋がっていますし、あの充実した日々を振り返ると本当に頑張って良かったなと思います。
ソチへの道のり
競技生活は短い
もう一つの夢舞台
- 堀
- テレビ番組にも多くご出演されていますが、芸能界には興味があったのですか?
- 村上
- 昔からお笑いが大好きでしたが、芸能界は知り合いもおらず遠い夢の世界だと思っていました。仲の良い織田信成君が先にスケートを引退し芸能活動をしているのを見て「めっちゃ楽しそう!いいなあ」と自分もやりたい気持ちになりました。
- 堀
- 芸能界の仕事の印象は?
- 村上
- バラエティーの現場にいざ入ってみると皆さんの声の大きさと勢いに驚いたのと、こんなに必死に、こんなに食らいついて仕事をしても全ては使われない現実も知り、楽しそうに見えて本当は厳しい世界であることを目の当たりにしました。収録後、あそこはこう答えたらよかったのかなと反省することも多いですが、出演する以上は少しでも結果が残せるよう頑張っています。俳優も経験しましたが、フィギュアは表情含めどれだけ大きく動いて表現するかが重要ですが、映像は眉毛の僅かな動きも画になるためそこに大きな違いを感じました。
- 堀
- どんなお仕事もやってみたい?
- 村上
- そうですね、でも虫とお化けの仕事はNGです!(笑)
濃厚な人生をおくりたい
- 堀
- いつも元気いっぱいの印象ですが、食生活など日頃の健康管理法は?
- 村上
- 選手時代は練習や試合のことで頭がいっぱいで自ら食べ物に気を使うというより、栄養士さんや母が準備してくれたものを食べることに必死でした。引退して食に気を使う余裕ができ、オーガニック食材や調味料に配慮するなど健康に関して突き詰めて考えるようになった結果、食材そのものの味がより感じられ、以前に比べ薄味でも満足できるようになりました。夕食はなるべく18時までに摂るよう気をつけていますし、運動習慣は3歳から染みついているので、最近はヨガやピラティスなども加えて体調管理しています。
- 堀
- スケート界の現状についてお聞かせください。
- 村上
- 私達の時代に比べ注目度が若干落ちてきているのは事実で、集客も昔程ではありません。チケット代も決して安くはないので、公演時間を休憩なしの75分にぎゅっと凝縮し比較的安価でチケット販売するなど、メディア活動も含めスケート界をどう活性化していくかスケーター仲間と共に模索する日々です。
- 堀
- 将来、指導者の道は考えていますか?
- 村上
- 指導者も生活の多くをスケートに傾けなければできませんし、選手の人生を背負う覚悟が持てた時にはやってみたいと思います。プレーヤーとして滑るのにはいずれ限界が訪れますが、私からスケートを取ったら何も残らないので解説や振り付けなどの活動を通して何かしらフィギュア界とは繋がっていたいですし、少しでも恩返ししたいと思います。
- 堀
- 今後、やりたい事などを教えてください。
- 村上
- これまでも眉毛を奇麗にする資格を取ったり、ビーズアクセサリーやかき氷の販売をしたりと私は興味のあること全部に手を出したい性格です! 舞台やミュージカルなどジャンルの違う表現にもトライしたいですし、楽しくやりがいを大切にしながら今まで出来なかったことを思う存分やって、濃厚でキラキラした30、40代を過ごすのが目標です。
- 堀
- これからが楽しみですね。本日はありがとうございました。