奨励会の掟
- 堀
- 本日は棋士の杉本昌隆八段にお話を伺います。将棋との出会い、棋士を志したのはいつ頃ですか?
- 杉本
- 7歳の時父に教わりました。オセロや五目並べなどのボードゲームの 一つとして将棋があったのですが、将棋は駒の種類が多く動きが特徴的で子供心に興味を惹かれ好きになりました。奨励会に入ったのは小6ですがプロを意識したのはその2年程前です。
- 堀
- プロ棋士への道のりは大変厳しいそうですが、奨励会について教えてください。
- 杉本
- 奨励会の試験には師匠となるプロ棋士の推薦と、アマ五段レベルの棋力が必要で、受験者は県代表クラスの地元では天才少年と呼ばれる人ばかりです。私は当時最年少の11歳で入会しましたが、棋士の目にはひらめくような才能型でなくプロにはならないタイプと映ったらしいです。その後ほぼ10年在籍し21歳でプロ入りしました。奨励会には21歳で初段、26歳までに四段(プロ)にならないと退会させられる規定があり、入会者の約2割しかプロになれません。原則毎年4人がプロ入りしますが、最終関門の三段リーグは現在実力者揃いで、プロ入りが更に厳しい状況です。
- 堀
- 杉本八段の棋風(振り飛車)は格調高いと評されることがありますね。
- 杉本
- 自分の中に理念というか理想像を持ち、相手のミスを期待せず、どんな場面でも決して勝ち急がないところを格調高いと表現されるのでしょう。
振り飛車は“ロマンの戦法”とも呼ばれます。私としては記憶に残らない将棋は評価できないし、自分だけの個性が出せればその将棋を指した甲斐があったと感じます。 - 堀
- 一つの戦法でもその奥深さを感じます。
- 杉本
- 棋士には勝負師タイプと研究者タイプがいて、流行の戦法をとことん突き詰める人もいれば、マイナーであるが自分の得意分野を徹底的に研究する人もいます。今流行のAIが示す手は過去にない新しい形の場合も多く、それを自分の対局に使えるのではと更に深く研究する棋士は多いです。今や囲い(守備の陣形)名に将棋ソフトの名前が幾つも付けられ、ソフトもバージョンアップを繰り返し、1年前と最新のソフト同士の対局では8~9割の確率で最新ソフトが勝つことからも、将棋にはまだまだ未知の領域が多いと言えます。今のコンピューターは過去の棋譜を学習させるのではなく、将棋のルールだけを覚えさせ機械同士の対戦を繰り返すことで強くなります。処理速度にもよりますが人間はおろか、12時間でAI界でもトップレベルになるものもあると言われています。
- 堀
- まさにSFの世界ですね。AIの登場前後で将棋界は何が変わったのですか?
- 杉本
- 棋士の閉塞感がなくなったというか指し手の自由度が拡がりました。これまでは先人達がやってきた定跡を手本に、そこから大きく外れる作戦は悪手とされてきました。棋士は「将棋というのはこの場面ではこうやるものだ」という大局観、見た瞬間の感性を大事にしていますが、AIにはそれがなく読みに特化し非常に合理的なのです。人間なら省く手も一通り読む。人間がそれを真似ても疲れるだけですが、AIが考える膨大な読み手の中に、この形は意外と有効なのだなと思わぬ新たな発見があるのです。私自身はAIを参考にはしますが自分には使えないしやりたくないと感じる事も多いのに対し、藤井竜王・名人はAIの示した手に拒否反応はないと言っています。自分の感性と合致し完全に理解できるということだと思いますが、そこは世代間や個人の差があります。研究の観点でも昔は棋譜を調べる、詰将棋を解くなどやれることに限度がありましたが、今は研究材料がいくらでもありより深く研究できると若い棋士たちは喜んでいますね。
- 堀
- AIが更に進化すると将棋はどうなるとお考えですか?
- 杉本
- より早く形勢判断が可能になりますが、詰みまでの完全解析はまだ先だとは思います。将棋は先手有利の意見もありますが、究極の攻めと究極の守りのAI対決は、駒と駒がぶつからずにらみ合いになり引き分けになるとの説があり、これには私も同じ意見です。自分が子供の頃には考えもしなかったことで、大変な時代ですね。
- 堀
- 藤井聡太竜王・名人の話題を多く聞かれることを正直どう感じますか?
- 杉本
- 取材する立場からすれば記事にしやすく当然だと思います(笑)。私も現役棋士なので若干複雑な気持ちがありつつも、師匠として嬉しいことでもあります。突出した存在が現れることで業界全体に光が当るのは大事で、それが今の将棋界なのかなと。
- 堀
- 若い才能、センスの見極めで重視することは?
- 杉本
- その時点での棋力は当然ですが、次に将来性です。この点は難しくどこで才能が開花するかは個人差がありますし予想が外れることもあります。センスとはいい所に手が行く、嗅覚が鋭い、勝負勘が良いなど色々な見方がありますが、目先に囚われず広い視野で勝つためのビジョンを持っているプロ感のある人をセンスが良いと表現します。ただAIの指し手は必ずしもセンスが良くないのでこの考えも変わってきていますね。
- 堀
- どんな時に棋士は飛躍的に成長するものですか?
- 杉本
- 心の底から勝ちたいと願う時でしょうか。自分の場合、ライバルに先を越されたり、自分より素晴らしいものを持った新しい人材が現れ、己の努力不足に気づいたりと挫折がきっかけとなることが多かったです。過去に順位戦B級2組から1組への昇級をかけた最後の一番に敗れ昇級を逃したことがあるのですが、実はその対局中に長女が生まれました。そのことを対局後に知ったのですが、人生の記念すべき日を悔しい日にしてしまった自分自身が許せませんでした。事実はもう変えられないのでこれはなんとしてでも昇級しなければと強く思い、直後の1年間はそれまでと比較にならないくらい頑張り、翌年1組昇級を果たしました。
- 堀
- 誰かのためには尚更力を発揮しますね。将棋に年齢的ピークはありますか?
- 杉本
- タイトルを争うようなトップレベルの読みやひらめき、直観力のピークは20代半ばで、経験による勝負術、集中力のピークはもう少し後半だと思います。
- 堀
- 直観力は経験を凌駕すると?
- 杉本
- 将棋は経験が活きにくい世界と思っていて、この考えはAIの登場で近年顕著に感じます。なまじ経験があるとそれに頼り過ぎ、フラットな判断を邪魔することが多く良くない傾向です。
- 堀
- 直観力とは様々な経験に裏打ちされたものなのか、それとも言語化できない何かなのですか?
- 杉本
- 何もないところから直観は生まれないでしょうし、自分に何らかの蓄積があるからひらめきは生まれるのだとは思います。その人のこれまでの将棋観が反映されるとも言えますが、かといって経験の量が重要かというとそうでもありません。大事なのは質の高さであり、分析し自分なりの結論を導き出さないと経験もあまり役立たないと思います。
AIか、ロマンか
才能と努力
これからを見せる
- 堀
- 日本将棋連盟の役職にも就かれていますが、将棋界の未来はどうなって欲しいですか?
- 杉本
- 若い棋士達の活躍で将棋という言葉が日常的になったのは素晴らしいことで、今の有難い状況が続くことを願います。子供や高齢者の競技人口が多く、少々取っつきにくい印象だった将棋も、藤井竜王・名人の人気で最近イベントにお越しいただく方の約7割は女性、その多くはあまり将棋に詳しくない方です。昔の将棋ファンは自分でも指す方がほとんどでしたが、今は対局風景が好きという“見るだけのファン”も増え、そのために将棋界は観せる方向にあります。将棋はスポーツの様に点数が出るものではない上、割と大逆転が起きる競技なので、詳しくない人にはわかりにくく、解説者や時に対局者にすら形勢判断が難しい場面があります。勝ちそうだが本当に勝つかどうかは進んでみなければわからない、見えない部分を説明するのが非常に難しいのです。その点AIの示す最善手はなぜそうなるのか説明がつきます。現在の将棋放送は一手ごとに画面上部に評価値が示され、形勢判断が一目瞭然です。これで見る人が感情移入しやすくなり、見るだけファンが増えた最大の理由と言われています。
- 堀
- 盤を挟んでの究極の頭脳戦に惹かれるのもわかりますね。
- 杉本
- 頭脳格闘技と表現されることもあり2日掛かりの対局ですと体重が2、3kg減ることもあります。将棋は本来時間の掛かる競技で、読みは時流のAIに任せればいいと考える方も多い中、大人が1日中将棋盤に向かい思考する姿は現代社会において珍しい図式とも言え、逆に新鮮に映るのかもしれませんね。
- 堀
- 今後の目標は?
- 杉本
- まずは健康で現役を長く続けることに価値があると考え、70歳現役棋士を目指します。20~30代が強いのは否めませんが、50代だからできる将棋もあり、それが今の自分の役目だと思います。昨年始まった50代以上の棋士による「達人戦」はオールドファンには嬉しい顔ぶれ揃いで、ベテラン棋士にとっても良いアピールの場となっています。ベテランの活躍に同世代は元気をもらいますし、年齢なりに良いものを出そうとする姿は必ず伝わると信じ、自分次第で人はいつまでも頑張れるところを見せたいです。
- 堀
- 今後のご活躍を期待しております。本日はありがとうございました。
※文中の段位、称号は対談時(2023年12月27日)のものです。