島原の乱は、これまでにも数々の小説で描かれてきた。立松和平『奇蹟 - 風聞・天草四郎』や飯嶋和一『出星前夜』、伊東潤『デウスの城』、矢野隆『乱』……。その島原の乱における一揆勢の旗頭だったのが、益田時貞=天草四郎だ。
一揆の中心人物として、大勢のキリシタンたちと命運をともにした、わずか16歳の美貌の少年。四郎のその姿は、ある種、悲劇のヒーローとして私たちの記憶にあるのだが、本書は、その四郎をカリスマ性を持った特別な存在、聖なる神の使いとしてではなく、信仰と現実との間で苦悩する、一人の少年として描いている。島原の乱は、四郎が望んで起こしたものではなかったのだ。
そもそもは、四郎が実の兄のように慕う、渡辺小左衛門だった。キリシタンたちのリーダー的存在であった小左衛門から、共に蜂起することを持ちかけられた四郎は、最初は彼の提案を拒む。小左衛門は、四郎の姉の福が嫁いだ夫の兄であり、そのしがらみからも四郎は蜂起に参加せざるを得なくなっていく。
このあたりの四郎の葛藤も読みどころだ。四郎が望んでいたのは、ただただ神の御言葉を伝え、布教をすることだけだった。けれど、弾圧に喘(あえ)ぐ多くのキリシタンたちの期待を無碍(むげ)にすることは、四郎にはできなかった。その四郎の優しさが、総大将となってからも彼を苦しめる。
野心家である小左衛門と、小左衛門に反発を覚えながらもその小左衛門とともに行動することを余儀なくされる四郎。双方の苦悩は、小左衛門が捕縛された後も続く。
それにしても、宗教弾圧とは、かくも苛烈なものなのか。そして、その弾圧は、21世紀のイスラエル - パレスチナ問題にまで連なるものでもある。四郎は単なる悲劇のヒーローではなく、「島原の乱」は、忘れ去られていい遠い過去ではない。そんな作者からの声が聞こえた気がした。