top

生薬のはなし

ホーム>生薬のはなし>鹿茸(ロクジョウ)その二

鹿茸(ロクジョウ)その二

鹿茸ってどんなシカから採るの

鹿茸の基原動物はシカであれば何でも良いというような書きぶりをしている文献などもありますが、『中華人民共和国薬典』には二種類のシカが規定されています。一つは梅花鹿と呼ばれるシカです。このシカは英名Sika deerが示すように日本の奈良の若草山や広島県の厳島神社のある宮島にいるシカで、日本全土に分布しています。このシカは日本だけでなくシベリア東南部ウスリー川流域から、朝鮮半島、中国、チベット高原、ベトナム、台湾など広大な地域に分布しています。もう一種類は赤鹿とか馬鹿と呼ばれる大型の鹿です。肩までの高さが75センチから1.5メートルと大きく、成熟した雄はこの上に1メートルを超える雄大な角を持っているものもいます。大型の鹿は日本には分布していないものの殆ど世界中に分布しています。このように基原動物が二種類いるため、鹿茸も二種類あることになります。梅花鹿から採った鹿茸を花鹿茸、馬鹿から採れたものを馬鹿茸といいます。効能や効果は『中華人民共和国薬典』にも相違の記載がないため、同じと考えてよいと思います。花鹿茸を高級品と見るむきもありますが、鹿茸は採取時期と部位が重要で、基原動物の相違はないと考えるのが合理的です。

鹿茸は何に効くの

さて、それでは鹿茸が何に使われてきたかを文献から探してみたいと思います。まずは現代の鹿茸に関する情報を一番オーソライズされたかたちで載せている『中華人民共和国薬典』を見ることにしましょう。【効能と主治】には「壮腎陽、益精血、強筋骨、調冲任、托痔毒。用于腎陽不足、精血亏虚、陽痿滑精、宮冷不孕、羸痩、神疲、畏寒、眩暈、耳鳴、耳聾、腰背冷痛、筋骨痿軟、崩漏帯下、阴疽不斂。」とあります。適切な日本語にするのは難しいのですが、「腎陽を壮んにして、精血を益し、インポテンツや遺精、子宮の冷えによる不妊、痩せ過ぎや虚弱体質、気力が出ない、冷え性、めまい、耳鳴り、耳が聞こえない、背中の疼痛、筋や腱の衰え、月経以外の出血やおりもの、治りにくい膿瘍」ということでしょうか。生命活動をつかさどる、東洋医学でいうところのいわゆる腎の衰えから出てくる諸々の症状に有効ということです。前述の効能は現代の薬典の説明ですが、これらは長い歴史の上に成り立ってきたものと考えられ、その淵源たる書物にはいかなる説明があるのでしょうか。『神農本草経』には「漏下・悪血・寒熱・驚癇を治し、気を益し、志を強くし、歯を生じて、老いず。」とあります。「不正出血、血が滞って瘀血などを生じて起こる病、悪寒したり、熱が出る病、小児のひきつけや肺炎などを治し、元気を益し、気力を強くし、歯を生じて、老化を防止する。」ということでしょうか。また李時珍は『本草綱目』で「精を生じ、髓を補し、血を養い、陽を益し、筋を強くし、骨を健にし、一切の虚損、耳聾、目暗、眩暈、虚痢を治す」と記しています。

古代から現代に至るまで、人体の構成と生命活動の要である「精」を充足するための薬剤として使われてきたことがわかります。東洋医学的な考え方に則れば、精は生命の基礎です。父母から受け継いだ遺伝による先天的な精に加え、後天の精の元となる食料が充実すれば生命力は充足し、強くなり、外界の変化にも十分対応することができます。精が虚し、すなわち不足すれば、反対に生命活動は弱くなり、病気に対する抵抗力も弱まると考えられます。精を補充する薬剤の中で、鹿茸の右に出るものはないといわれています。そのため香港やシンガポールの薬局では、今でもその看板に「参茸」の二文字を掲げ、薬局のシンボルとしています。因みに「参茸」の「参」は人参の参であり、「茸」は鹿茸のそれです。

このような魅力的な効能を持った鹿茸に注目し、鹿茸の70パーセントアルコール抽出エキスからパントクリンという製剤を作り出したのは旧ソビエトのパブレンコ博士たちです。薬理実験と並んで、臨床試験も行っていますが、その結果は以下のようなものでした。①弱った心臓血管並びに心筋に特異的に作用して、その機能を回復させる。②消化器官に対してはその機能を促進させる。③腎臓機能を促進する。④筋肉の疲労を回復させる。⑤精神神経緊張症、神経衰弱および感受性の強い人に対し、鎮静作用と強壮作用を示す。⑥精力減退、無気力症に対して性機能の回復を促進する。⑦腫れものや傷の肉芽形成に伴う治癒を促進するといった効果があることを報告していますが、これらの効果は古来中国で利用されてきたものとほぼ同じであることに驚きます。古くから言い伝えられてきた精を生ずるという作用があれば、上述の効果があらためて確認されるのも不思議なことではないのかもしれません。最近ではアンチエイジングの流れから『神農本草経』の効能の一つ「老いず」に注目して、抗老化作用の研究もはじまっています。鹿茸エキスが抗酸化作用、フリーラジカル消去作用などを持つことが、マウスへクロロホルムを投与して脂肪の過酸化の度合いをみる実験や、培養心筋細胞にアドリアマイシンを投与し、発生したフリーラジカルの細胞障害を有意に抑制した実験などでも、その抗老化作用の一端が徐々にではありますが解き明かされようとしています。本格的な高齢化社会を迎えようとしている昨今、更なるその作用の解明が楽しみな生薬の一つです。

【引用文献】

坂本太郎、他校注『日本書紀 4』岩波書店(1995)
近世デジタルライブラリー国史大系第13巻『延喜式』巻37「典薬寮」国立国会図書館
国家薬典委員会編『中華人民共和国薬典』2010年版一部 中国医薬科技出版社(2010)
峯下銕雄「漢藥鹿茸ノ研究1,2,3,4」、日本藥物學雑誌19,21,22,23(1934〜37)
奥田拓男、吉川敏一編『フリーラジカルと和漢薬』(株)国際医書出版(1990)
難波恒雄『和漢薬百科図鑑Ⅱ』保育社(1995)
長沢元夫、世界の生薬「鹿茸について」第5号(1977)