はあとふる対談

「誰かの、何かのために生きる」ゲスト:林家 たい平(落語家)

聞き手:堀 正典救心製薬株式会社 代表取締役社長 慶應義塾大学卒
趣味は謡曲、書道、墨絵、車、ゴルフ、ネイチャーフォトなど

林家 たい平(はやしや たいへい)さん
林家 たい平(はやしや たいへい)さん
落語家

1964年埼玉県生まれ。武蔵野美術大学卒業後、1988年林家こん平に入門。92年に二つ目、2000年35歳で真打昇進。林家伝統のサービス精神あふれる芸風を受け継ぎ、「たい平ワールド」と呼ばれる楽しさ満点の高座で高い評価を獲得。親子向けの落語会や、寄席の臨場感を味わえる映画館落語をプロデュースするなど、落語ファンのすそ野を広げることにも尽力。第58回芸術選奨文部科学大臣新人賞ほか多数受賞。平成29年度ゆうもあ大賞受賞。独演会やテレビ出演を精力的にこなすなか、2010年から母校の武蔵野美術大学にて客員教授を務める。

幸せをデザインする
本日は人気番組「笑点」でお馴染みの落語家、林家たい平さんにお話を伺います。美術大学をご卒業とお聞きしましたが。
林家
もともと芸術の道で生活したいというより学校の先生になりたかったんです。高校の勉強をさぼりすぎて進路に迷っていた頃、担任の美術教師が私の画を描いている姿を見て、美術教師の道を薦めてくれました。田舎なので美術大学の存在すら知りませんでしたが、季節の休みや日曜日を利用し美術の予備校などに通って勉強し美大に入学しました。その頃はバブル時代、CMなどが花盛りで、企業が広告にお金を沢山使って世の中にすごく素敵なものがたくさんありましたので、デザインで身を立てるのもいいなと段々と自分が変わってきました。
小さい頃から画はお好きだったのですか?
林家
いいえ、兄の方が上手でかなわないという思いがあり、むしろ画を描くのは嫌でしたね。中学生位までは夏休みの宿題は知り合いの人に描いてもらってました(笑)
そこでなぜ落語を?
林家
新入生の時、廃部の相談をしていた落語研究会に、なかば人助けの形で入部しました。ただ当時は落語を真面目にやってはいませんでしたね。どこか落語を斜に見て、真正面から向き合ってはいなかったです。そんな時「デザインは人を幸せにするためにある」という言葉を聞き、果たして自分はどんなデザインで人を幸せにできるのかと考えました。画を描いたり、形に残すことだけがデザインではないのではと思い、再び落語と真剣に向き合うようになりました。
プロを目指すきっかけは何だったのですか?
林家
夜中に課題の画を描いている時に、ラジオから流れてきた五代目柳家小さん師匠の落語です。笑って、聞いた後あったかい気持ちになったんです。毎日課題に追われて何となくざらついていた心が、落語によってすごく優しく変わったのを感じました。その時気づいたんです、〝あっ、これがデザインってことじゃないのかな〟と。カッコいいスポーツカーに乗ると勇気が出る、素敵なカップでお茶を飲むと豊かな心になる。人の心を変えていくこと、内面に訴えかけてくるものがデザインの本質ならば、落語という画材を使ってデザインするデザイナーになることが自分に一番向いているのではと思いました。そこからですね、落語家を目指したのは。
デザインと落語には共通項があったのですね。
林家
人からは「よく美大からまったく違う世界に入られましたね」と言われることがありますが、私は逆に武蔵美に行かなかったら落語家にならなかったと思います。高校の美術教師や色々な方とのご縁や出会いの中で、いつのまにかこの道に連れて来てもらった感じです。そして今や落語家は私の天職です。
縁とは人の人生にどう影響を与えるかわからないものですね。落語家になるにはどのような方法があるのですか?
林家
落語家になるには養成所みたいなものはなく、自分が決めた師匠に弟子入りする以外にありません。私は子供の頃からテレビで見ていた「笑点」という番組に出演していた師匠林家こん平に、大きな声でテレビの前の人に伝えたい、笑わせたいという〝人を笑わせる迫力〟を感じ弟子入りしました。この世界が凄いのは、自分とは別の師匠が沢山稽古をつけてくれることで、むしろ自分の師匠はあまり稽古をつけてくれません。好きで師匠を選んで稽古をつけてもらったら、その人の縮小版が出来るだけ、新しい個性はあまり稽古をつけると生まれないんです。では何の為の師匠なのかというと、一番近くで常に生き方を見せてくれる人だと思います。師匠こん平の傍に居させてもらって、芸人として、社会人としての生き方を学ばせてもらおうと思いました。師匠こん平からは「稚気を持ちなさい、芸人というのは人に可愛がられなければいけないから。あとは大きな声で」とそれしか言われませんでした。唯一、一席だけ稽古をつけてもらったことがありますが、2人共酔っ払っていてその落語は覚えていません(笑)
落語の師は人生の師でもあるということでしょうか。芸能界への不安はなかった?
林家
ひとつも不安はなかったです。早く一人前になって自分が思い描く落語をたくさんの人に聞いてもらいたいという夢のほうが大きかったですから。
お茶の間の人気者へ
「笑点」へのご出演は、落語家としての転機となりましたか?
林家
転機どころか人生が一変しましたね。それまで落語を広めるためにコツコツと全国を飛び回って、当時300人集まっていただくのが精一杯だったのが、笑点に出演するようになってからは高座の数も10倍、お客様の数も3〜5倍になったのは番組の力ですね。先代の園楽師匠が仰いました。「なぜたい平君をメンバーに入れたかというと、ちゃんと落語ができるからなんだよ。笑点のメンバーはただ面白い人じゃダメなんだ。笑点の後、落語を広める宣教者でなければいけない。落語がつまらなかったら元も子もない。そこを忘れちゃダメだよ」と。笑点に出て浮かれるどころか、私が落語との最初の出会いになるわけですから、責任を強く感じましたね。
2016年にテレビ番組で24時間マラソンに挑戦、100・5キロを完走されましたが、この挑戦はその後のご活動に影響を与えましたか?
林家
落語とは違う表現手段をもう一つ神様からもらったかなと思います。走って何かを伝えるなんておこがましいですが、沿道の人とハイタッチをしたり、一緒に走る仲間と励ましあったりする中、50歳を過ぎたおじさんが頑張って走る姿から、落語とは違う何かを感じてもらえたら嬉しいですね。
走って良かったですか?
林家
凄く良かったです。沿道からたくさんの声援をもらって、人の声ってすごく力になるんだなと実感できました。マラソンは今も続けていて、これからは自然災害で元気がなくなってしまった街などを走って、皆さんに元気を届けたいですね。
そこに人がいるってこと
落語の魅力、素晴らしさとは?
林家
忙しい方にはDVDなどの方法もありますが、まずは寄席に足を運んでもらって芸人と同じ空気に身を置く、笑いという時間を大勢の人と共有する喜びを知ってもらいたいですね。スマホが主流で個人の時間が長い現代社会だからこそ、生身の人の声がビンビン伝わってくる空間は最高の癒しと贅沢ではないでしょうか。落語の登場人物は失敗もするし、酷い酔っ払いもいます。寄席には昼間から落語を聞いて、「この人働いているのかな」っていう人もいます。でもそれが世の中なんですよね。落語の、寄席の世界に身を置くとは、全てを受け入れさせてくれること、そんな気がします。
子供達にも落語を広める活動をされていますが、落語は聞く側の想像力も重要に思います。子供に落語は理解できますか?
林家
小さい子供の想像力をあなどるなかれです。きっと私たち大人より想像力の幅が広いと思います。逆に大人は言葉に頼って生きているので、一つ解らない言葉があると、気になって話が入ってこない。でも子供はもっと大きな世界観で見ているので、解らない言葉があっても話についてくるんです。映画だと全部同じだけど、落語では隣に座った人と、頭の中のスクリーンに映っている主役の顔も住んでいる家も人それぞれ違うんだよ、と落語の良さを伝えています。想像力を養う意味でもお勧めですね。
落語とは人間賛歌
座右の銘やモットーなどはありますか?
林家
「誰かの、何かのために生きる」ですね。お客様との一期一会を大事に、良い緊張感を持って何事にも臨んでいます。落語においては、昔のものを守ろうと単に昔話をするだけなら、この世界は衰退してしまうでしょうね。古典落語という言葉は評論家が作ったものですが、私は新作も含め全てが〝落語〟であり、芸人は〝今〟を語るべきだと思います。
次世代に繋げるという点では、我々家庭薬業界にも共通の課題だと言えます。今後の抱負は?
林家
日本人なら一度は落語を聞いたことがあるだろうと思っているだけで、実際はまだまだ聞いたことのない人が多いです。身体をもっていける限り日本中津々浦々まで行って、生で落語を聞いてもらいたい。一席でも、一人でも多く落語と出会ってほしい。その出会いの場を僕たちが作りたい。日本は高度経済成長期を走り続け、物質的な豊かさ、便利さは手に入れたけれど、さてポケットに手を入れたら大切な物がこぼれ落ちていた。現代人は人として一番大切な物を失ってやしないか? その何かが落語の中には宝物の原石のようにあると考えています。
その何かとは?
林家
人間賛歌ですね。みんなで一緒に生きているから楽しい、面倒くさい人が隣に居るからこそ世の中は面白いんだ、そんな人と人との繋がりや心の豊かさ、人間の本質のようなものを笑いを通して感じられるのが落語だと思います。今の日本、もっと笑って、もっとのんびりしていいんじゃないでしょうかね。
落語の奥深さに触れた気がします。本日はありがとうございました。
2018 vol.33