物語は、昭和18年の春まだ浅い朝、山岡悌子の投擲(とうてき)のシーンから始まる。指導研修生として所属する日本女子体育専門学校の校庭での、悌子の最後の一投だった。悌子は、四月から国民学校の代用教員として働くことが決まっていた。物語は、この悌子の視点と、悌子の下宿の大家であり、一階で惣菜店を営む朝子の兄・中津川権蔵、二人の視点で語られていく。
戦時下、西東京の小金井。「人に教えた経験があるのは槍投げだけ」という悌子だったが、五年三組の副担任となり、教師として成長していく。けれど、日に日に戦争の影は濃さを増す。ある日、藁人形めがけて槍を突き刺す竹槍教練で、竹槍を落とした生徒が指導役の将校に頬を張られた時、生徒をかばった悌子は、女子生徒全員に向かって声を張り上げる。 「みなさん、槍というのは、人を突くための道具ではありません」
そして、槍を構えた悌子は、芋畑へとステップを踏み、投擲を披露する。
このシーンは、読んでいるこちらの心まで解き放たれたような気持ちになる。
一方、権蔵は、徴兵検査を受けるも、肋膜を患っていたことで丙種合格。戦地には赴かずに済んだものの、定職にはついていない。浅草の立ち飲み屋で知り合った六助の仕事を、日雇いで気まぐれに手伝うだけのその日暮らし。「こんな暗ぇ世の中、早く終わんねぇかな」と思っている。
そんな権蔵と悌子が結婚し、やがて、やむにやまれぬ事情からとはいえ、血のつながらない子どもを育てることになるのだが—。
悌子、権蔵をはじめ、ままならない時代、ままならない日々を、それでも懸命に生きる人々それぞれのドラマが、読み進めるほどに胸に沁みてくる。タイトルになっている、かたばみの花言葉は、「母の優しさ」「輝く心」。珠玉の一冊だ。